「さて、何から話せばいいかな」
店長は運ばれてきたアイスコーヒーにフレッシュを入れ、ストローでくるくる回しながら、そう呟いた。俺はその様を見ながら、どうしようかと思った。俺もアイスコーヒーを頼んだはずなのだが、目の前に置かれたのはホットコーヒーだ。店長が言ったように、どうやら俺はもうあの子の頭の中では「ホットコーヒーの人」らしい。
「何なら取り換えさせたら? 遠慮することはないと思うよ」
店長が苦笑混じりにそう俺に言った。
「いや、今日はやめときます
宴會紅酒。こっちの方が落ち着きそうですし」
俺は目の前のホットコーヒーに一杯目の時と同じように砂糖をスプーン2杯入れ、それからフレッシュを少し垂らし、スプーンでゆっくりかき回した後、一呼吸おいてそれを口にした。
「あれっ?」
「どうかした?」
「このコーヒー、さっきのとちょっと味が違うんです」
「味が違う? どう違うの? 不味い?」
「いや、おいしい……」
「エッ、おいしいの
更年期!」
「ええ、その、何て言うか、ものすごくおいしい……」
俺は吃驚したような表情を浮かべた店長に向かって、淡々とそう言い、もう一口コーヒーを啜った。やはりおいしい、ものすごくおいしい。俺はコーヒー通には程遠い人間だが、それでもこの味の違いはよくわかる。まろやかでありながら深いコクのある味が口に含んだ瞬間にパアッと広がって、それが味覚神経を通って脳の中枢を刺激しているような感覚だ。それに加えて香りがたまらなくいい
能恩。鼻から入ってくる香りは他のコーヒーとさほど変わらなかったのだが、口の中から鼻へと漂う香りはそれとはまったくの別物だ。何と表現すればいいだろう、そう、「強い刺激のあるコーヒー特有の香り」でありながら「やさしく」しかも「上品で高貴」な香りとでも言えばいいだろうか。要は俺みたいな庶民が滅多なことでは味わうことができないコーヒーで、この時ばかりは生まれて初めてコーヒーに砂糖とフレッシュを入れてしまったことを後悔したくらいだ。
「浜本さん、すごいよ」
店長が感心したような口ぶりでそう言った
「『すごい』って何がですか?」
「しずちゃんに初日に気に入られるなんてさ、浜本さんが初めてじゃないかな、たぶん」
「どういうことですか?」
「たぶん浜本さんが今飲んでいるコーヒーは、この店で一番上等の豆を使ったやつじゃないかな」
そう言われて俺は目の前にあるコーヒーをしげしげと眺めた。貧乏くさい俺は「一番上等の豆」と聞かされて、頭の中に「これって一杯いくらするのだろう」という思いが広がったのだ。普通のコーヒーを注文したのに勝手に一番上等なコーヒーを出してきて、それでその料金を請求されたらたまらないとも思った。
「大丈夫ですよ。あの子ね、気に入った客にはサービスしてくれるんですよ」
店長が俺の不安を察したようだった。たぶん顔に出てしまったのだろう、まだまだ俺は未熟だ。
「私の場合は『大盛り』って言うサービス、だから『大盛り』のオムライス。で、浜本さんの場合は『この店で一番上等の』っていうサービスなわけね」
「サービス……、ですか」
「心配なら伝票とメニューを見てごらん」
俺は店長に言われるがままに伝票に書かれた明細とメニューを見比べてみた。伝票には単に「オムライス」と書かれていて「大盛り」を示す字や値段は書かれていない。メニューを見るとオムライスの値段は「¥650」と書かれていて、大盛りになるとそれは「¥750」となっていた。コーヒーは伝票にはやはり単に「ブレンド」、「アイス」と書かれているだけで、メニューを見るとどちらも「\400」だ。じゃあ一番値の高いコーヒーっていくらなのだろうと飲み物の欄を探した。何種類かのコーヒーが書かれていたが、その中で一番値の高かったのは「特選最上級豆三種ブレンド」というもので、値段は「\1,500」となっていた。コーヒーにしてはいい値段だなあと思っていたら、その欄とは別に「マスターの一押しメニュー」というものがあった。そこには「ブラック・アイボリー(Black Ivory) ¥5,000」というメニューが書かれていて、何だろうと思いつつ一行下に目を移すと「マスター自らが現地に赴いて仕入れた世界最高級のコーヒー。当店でしか味わえない想像を絶する深いコクと誇り高き香りを是非ご堪能ください!」という添え書きがされていた。まさかこれじゃないよなと思ったが、果たして俺が今飲んでいるのはいったいどれなのだろうかと、ますますわからなくなったものだから、俺は店長の顔を見ながら「余計わからなくなりました」と言って首を傾げた。